ー元大学病院職員である20代社会人の医療や福祉に関する備忘録ー

元大学病院職員の20代男子が医療や福祉の事を発信するブログです。

哲学を学ぶ意味について

高校時代までは、「学業成績」や「帰属集団における相対的地位(=スクールカースト)」、「友達の多さ」といった絶対的な評価軸が存在し、そうした世界で生きてきた人間が大学に入学して以降、社会におけるあまりの評価基準の多様さに打ちひしがれるのは通過儀礼の一種であるようにも感じます。

自己の取り巻く世界が如何に限定的で狭いものであったかを思い知らされるのは“大学生あるある”の一つと言っても過言ではないのでしょうか。

『世の中には色々な人がいて、人の数だけ多様な考え方、価値判断の基準が存在する』

『そして世の中には万物に普遍的に妥当する真理などありやしない。 それでも人は何らかの拠りどころを必要とする生き物なのだ』

そうした中で人間にとって根源的なテーマであるような、
人生をどう生きるべきか、時間とはなにか、生きるとはなにか、人は何に幸福を見出すのか、労働のあるべき姿とは、世界は何によって構成されているのか、神は存在するのか、愛とは何なのか、

といった思考を突き詰めていくとその終着点は哲学に行き着くのではないかと個人的に考えています。

よく巷では「哲学なんて何の役に立つんだよwww」といった声も耳にしますが、多かれ少なかれ私達は理性を用いて日々思考しながら生きている以上、自分自身の価値観や考え方といったものがあるはずです。

Wikipediaさんによると

《哲学とは物事の根本を明らかにし、かつ全体の包括的な枠組みを示すための知的な取り組み》

要するに「哲学は物事の本質や人間の思考を明らかにして説明づけ、現実世界に繋ぎとめる」役割を果たしていると

その際に「概念」や「原理」といった枠組みを用いて、世界や万物などを論理的に説明するための素材として哲学的な視点や考え方があると、自分の思考を組み立て、より洗練された考えになりやすくなると思います。

普通に素直に育つと社会の常識的な思想をなんとなく受け継いで量産型常識人になる。
より自分らしく生きたければ世間の思想や価値観を疑い、自分なりに思想や価値観を組み立てなおす必要がある。そのための思考訓練、思考の材料として思想や哲学が使える(@nobupoli)

「明示的な哲学を学ばない人は、親のしつけや学校教育や地域の生活や国の文化などから多くの暗黙の哲学を知らぬ間に身につけ、その指し示すものに思考や行動を左右されながら生きています」

所詮、私達が考えるようなことは過去の偉大な先人達がもっと深く掘り下げて考えてきた境地であるということです。
彼らが後世に残した思想から得られるものを素直に学びとろうとする姿勢が大切なのではないでしょうか。

自分の思考のベースを形作り、自律した考えをもった大人になる為に哲学は非常に有用な学問だと考えています。