ー元大学病院職員である20代社会人の医療や福祉に関する備忘録ー

元大学病院職員の20代男子が医療や福祉の事を発信するブログです。

部落差別地域の見学を通じて感じた差別問題超克に向けた課題

先日、大学の研修の一環で大阪を訪れた際に人権意識の高揚を目的とした施設の一つである大阪人権博物館及びかつての部落差別地域を見学する機会を得た。
此処では館内や周辺地区を巡る中で私が感じたことなどを備忘録的に述懐する。



大阪人権博物館は、大阪市浪速区にある人権に関する大阪府の登録博物館。愛称はリバティおおさか、運営は公益財団法人大阪人権博物館。日本全国でみられる同和対策事業の一つ。 (Wikipedia)

http://www.liberty.or.jp


大阪人権博物館

館内には「被差別部落」「ハンセン病」「アイヌ民族」「水俣病患者」「DV」「児童虐待」「HIV/AIDS」など様々なことを深く考えさせてくれる展示物や資料が数多く設けられていた。我々に突きつけられるこの世の惨劇模様を他の学生達の多くが何か目を逸らしてはならないものであるかのように真剣な眼差しで直視している姿が印象的であった。
得てして我々は陰惨な差別や人権軽視が平然と行われていたという事実に対して過去の時代の不当性や残虐性を一方的に糾弾し、物事を単純で分かりやすい一般的な倫理道徳的感情で処理してしまう状態に陥りやすいものである。
しかしながら、差別構造や人権蹂躙は現代にも形式を変えて蔓延っているのもまた事実であり、我々も決して無関係な世界に生きているわけではない。現代に生きる我々、とりわけ過去の凄惨な歴史を知り、人権処遇改善を護る砦となる専門職の道を志す者の一人としてこうした惨劇を繰り返さないという自意識を強く持たねばならないと思う次第である。




また、この先も人類社会は不可避的に過ちを繰り返すであろうが、個人レベルで、或いは社会集団レベルでそれらを乗り越えるべく過去の歴史には目を向けられるべきであると感じる。

人間は愚劣なこともあれば崇高なこともある。

必要なのはその両方を知ることです。

被差別地区

私自身、被差別部落問題に関しては学校における講義や書物・文献上で見聞きした事はあったが、その詳細な実態は知り得る契機も無く今回の研修の中で初めて見知る事柄が数多く存在した。
被差別部落出身者はかつて特定の居住地域に出身しているという理由だけで貧困や環境の劣悪さ、進学や結婚における不利、職業の特殊性といった様々な差別的処遇に見舞われてきた歴史的事実がある。
しかしながら、差別の跡地や僅かな資料或いはその事実を語り継ぐ者の話の一部を聞き齧っただけで分かった気になってしまうことには同時にある種の恐ろしさを孕んでいる。無論、現代を生きる我々にとって過ぎ去った時代に生きた人々の日常意識や行動を推し量るには限界を伴うが、そこで生きた人々が遺した軌跡は多くの示唆を与えてくれる。ある特定化された社会の枠組みの中で生きる人々は、自らのアイデンティティーを引き受けながら、その中で人生における様々な哀歓を交錯させつつ生きていたのであろう。第三者である我々にとって当事者等がどのような社会的状況に置かれ、差別意識が何によって醸成されたのかについて目前の対象に想像力を働かせ、当時の時代状況を生き抜いた人々の生活や想いを与しようと考える姿勢が何より肝要な事であるように感じられる。

こと部落差別問題に限るならば出自が社会的に意味をなさない事こそは究極の解決といえるのではないかと思う。これは換言すると、部落差別出身者が自らの出自を公然と開示したところで何ら特別な意識を向けられないことである。現在では部落問題そのものは完全に解消したとは言えないまでも、また人々の価値観や感性、経験の差異はあるにせよ、多くの面で部落内外の境界意識は薄れてきており、前近代的な差別感覚を不当なものと見なす規範が優勢となっている。
しかしながら前項で述べたように差別問題は対象が変化しただけで現代にも形を変えて存在している事に盲目になってはならない。現代に生きる人々は我々の時代に固有の「差別問題」と向き合い、超克すべく絶えざる闘いを挑むことが求められているのだといえよう。

差別問題を巡る論理

政策的な文脈に照らすとある特定の対象の利益を優先すると必然的に別の対象に振り向けられる筈であった資源が損なわれてしまう事になる。

差別に対する議論というのはそういう曖昧なものなのだ。あくまでも権力闘争や再分配を巡る議論であって、普遍的な正義の為の闘争ではない。

普遍的な正義となるには、分配するリソースが余剰にあるか、そうすることによって社会全体の生産性や幸福度の向上が見込める時だけだ。ある主体が別の場所から何かを移転させようとすれば、大抵は争いが生じる。