ー元大学病院職員である20代社会人の医療や福祉に関する備忘録ー

元大学病院職員の20代男子が医療や福祉の事を発信するブログです。

新卒で入職した大学病院を辞めた理由を振り返る

大学卒業、新社会人...になって以降長らく更新が滞っていた本ブログでしたが、自分の中で色々と整理したいと思い、個人情報を特定されない範囲で若干脚色を施しつつ、この記事を書く事にしました。

私個人が特殊な例なのか、それとも“ありふれた社会人の一例”であるのかは定かではありませんが、若手の医療職の方や過酷な医療現場を経験されてきた方の中で、私と同じような経験や想いをしてきた方も少なからずいるのではないかと思う為、自身の個人的経験をこうして文章化する事に致しました。

実際に働き始める以前は、まさか自分があそこまで追い詰められるなんて、就職するほんの数ヶ月前は夢にも思わなかったけれど、学生と社会人になる間には途轍もなく大きなギャップが有りました。

私が勤めていた大学病院の状況

私は、元々新卒で高度急性期の大学病院に入職し、医療従事者として勤務していました。

私が就職した先である大学病院は高度急性期の医療機関で他の病院で対応困難な患者を中心に診療を行っており、過酷な業務環境において離職率も高く、現場は慢性的に人員不足な状況でした。

私が在職していた当時も多忙を極めた現場において、もとより医療需要に対して相対的に人手不足感が否めない医療現場で、精神的にも体力的にも余裕のある労働環境ではありませんでした。

大学病院で働いていた頃は、自身で足りない知識を補うべく仕事終わりや土日も時間を惜しんで勉強を重ねていたものの、実際の現場で起こる症例や業務は、机上の学習を幾ら重ねても初めて経験する事ばかりの現場では判断出来ない事柄が多々ありました。今振り返れば、これらは本当に個人の努力や頑張りなどではどうにもならなかった問題だと思います。

慣れない環境での医療業界で働くプレッシャー

慣れない勤務が続く過程で次第に毎日課せられるプレッシャーと責任と重みに耐え切れなくなっていきました。

生と死の狭間に立たされた重症患者の度々訴えられる相談への対応、自分の行為が他人の人生を左右する責任、どれ程勉強しても理解できない医学知識、医師や看護師等の他職種から寄せられるプレッシャー、がん・認知症・難病・精神疾患をはじめ多種多様な相談内容へ対応する知識不足、どんな相談や電話が来るか予め予測不能であること...これらを含めて仕事上の責任の重さと繁忙さに耐え切れるメンタルと実務能力があの当時の自分にはありませんでした。

大学病院が高度な医療施設である以上、避けては通れない問題では有るけど、状況に全くついていけないまま、「どうしたら助かりますか?」と縋る患者家族を目の前に経験も知識も乏しい自分に対応できる限界と歯痒さを感じる毎日で、当初は最先端の医療に携わりたくて、多くの人を救いたいと思って、入ったのにも関わらず自分の無力さを只々感じるばかりでした。

限界を感じた日々

大学病院で働き始める前から、手の届く範囲における病気で苦しんでいる人を救いたいと思い、頑張ってきました。結果として、これまでの在職期間で有りましたが、微力ながらもそれを遂行し患者家族の方から感謝されるという経験を得ることができた事は誇りに思います。しかしながら、自身の知識経験不足に加えて、業務が逼迫しすぎて環境が忙しくなる中で他者のことを考えることが難しくなり、それが続くと相手を思い遣る気持ちが持ち辛くなっていくのを感じました。

実際に現場で働く前は、病気を抱えた方の為に役に立ちたいとか、医療の発展に貢献したいと考えていましたが、目紛しい程の業務とプレッシャーに精神を擦り減らし、家に帰っても疲れて寝るだけの日々に遂に限界を感じました。

大学生時代とのギャップ

十分な研修や教育体制が無い中で自身の知識経験不足や三次救急を担う高度先端医療機関に特有の重症患者(末期がん、深刻な合併症、死亡事例等)や稀少難病への対応の困難さに加えて、業務が逼迫しすぎて環境が忙しくなる中で、学生時代に思い描いていた現実との間に大きなギャップも有りました。

私の場合、自分の理想像や期待値が高かったので、だからこそ「自分ができない」事実に耐えられなかった。

大学時代に職業と学問が一体化した教育を受けてきた筈ではありましたが、抽象理論を中心とした学問的知識と具体的な行為を主たる業務とする臨床とでは求められる知識の間に乖離が余りにも大きく、いざ臨床現場において、書籍で読んだからと言って、国家試験の勉強をしたからと言って、実際の支援を完璧にこなせる訳ではなく、ましてや刻一刻と変化する病院の複雑なケースを、新人で未熟なままの自分が、患者家族から助けを求められている立場にありながら、医療という大きな責任を伴う仕事において、本来求められた役割を果たし切れていないばかりか、いつか自分の経験不足やミスによって取り返しの付かない失態をおかしてしまうではないかという不安・恐怖・自信の無さ、それら全ての蓄積が心身に大きな負担を及ぼしていたのだと思います。

また、大学病院にはいくら治療を施しても予後が厳しかったり、臨床的適応がなかったりして絶望に追いやられてしまう患者さんやご家族も少なくはありません。

更に、自分が働いていて辛かった事の一つは、自分が関わっていた患者さんが亡くなっていく事や日々生死と向き合う環境下でのプレッシャーと恐怖です。通常人間が一生に数度経験するかしないかという“人が死ぬという場面”が病院という特殊な環境の中では日常的に組み込まれており、自分と関わりのあった人が亡くなる事は、心に大きな侵襲を及ぼします。日々周りで誰かが死ぬ、そして自分がその死に間接的に関わっているかもしれない、そんな恐怖心との折り合いを付けて次の業務に切り替えていくという事が医療職に就いてまもない自分にはとても難しく感じました。

離職した医療従事者に対する批判の声

時々、新卒数年間で離職した若者を責めるような論調の発言を拝見しますが、そうせざるを得なかった人の背景や事情、本人にしか分かり得ない苦しみを汲まずに、結果論のみで簡単に片付けるのは余りにも短絡的ではないかと感じます。まして当人しか分からない辛さや苦しさがあるのだから、辞めたという一面的な結果のみを見て、その人が弱かったのだと勝手に決めつけてはいけないと思います。 事実、本人は頑張りたいという気持ちがあったとしても、病気や障害等の事情があったり、環境に耐えきれず心や身体がズタボロになって、脱落してしまった人も数多くいます。

正直、入職した段階において、働きやすい環境で続けていけるか、それとも心身共にボロボロになって辞めざるを得なくなるかは、“運”に依る所が大きくて、本人の能力適正に関わらず、環境に恵まれたか否かによる違いでしかない場合も多いと感じざるを得ない。

ただ、最初は誰しもが経験もない中で働くことになります。初めて就職した先が合わなかったり、ろくに経験のないまま実力以上のプレッシャーの降り掛かる厳しい労働環境下において、どうやってフォロー体制を整えて、少しずつ一人前に成長させていくのかはあらゆる病院・組織にとって重要な課題であると認識しています。

職員との人間関係

医療の世界は命に関わる現場である以上、ある程度の責任を伴う事になる点はよく分かります。しかしながら、私の場合経験の乏しいまま実力以上のプレッシャーの降り掛かる厳しい労働環境で、いきなり一人で新人を矢面に立たせられて、周りは何も見て見ぬ振りをして、出来なかった事を裏で責め立てたり、凄い剣幕で叱り付けたり、瑣末な事を永遠と並べ立てて若手職員を追い詰めるといったような威圧的な指導を行う職員が一部存在しました。(いわゆる難ありな性格のお局)

感情的に強く怒ったり、周りが聞こえてる中で大きな声で欠点をひたすらに並べ立てたり、新人に対してそのような言動をしても何も意味ないどころか寧ろマイナスなのにも関わらず、なぜ高圧的な態度で萎縮させるような指導を選んでしまうのでしょうか。

医療職の若手職員を指導する上で、基本的に怒鳴ったり殴ったりすること意味がなく、委縮させたり声を荒げて叱責したりして、本人が奮い立ってやる気が上がる事例というのは、基本的に絶無と言っていいと思います。たしかに人の命が関わってるからこそ、時として厳しく指導しないといけないというのは理解できます。 ただし、仮に未熟な点が見受けられたとしても、人の心が壊れるような指導を選択した時点でそれは不適切であるのだと今となっては思います。

将来のある医療従事者を育てなければ日本の医療に未来はない

本来であれば、現場で若手職員を丁寧に指導して1日も早く業務を覚えてもらえた方が、指導する側の負担も部署全体の負担も軽くなるはずです。行き過ぎた指導やパワハラまがいの言動によって傷付けられた人が辞められてしまっては、その組織や業界そのものにとってマイナスではないでしょうか。

一人の人材を大切に育てず、離職させてしまえば、ただでさえ人手不足と呼ばれる業界の中で、どれだけの損失になるか、重く受け止めなければ、今後将来の医療を担っていく人材を大切に育てなければ、この国の医療の未来はないと思います。