ー元大学病院職員である20代社会人の医療や福祉に関する備忘録ー

元大学病院職員の20代男子が医療や福祉の事を発信するブログです。

かつての自分を救いたいという想いから医療や看護や福祉の道を目指す人について


医療や看護や福祉の分野に進む人達って根底には弱い立場に置かれた人や困っている人達を助けたいという想いがある人が比較的多いような気がしています(もちろん全員が全員そういう訳ではないですが)。

でもそういう感情や動機ってどこから来るんだろう。誰かを心の底から救いたいと思う動機って何があるんだろうって考えてみると色んな理由があるはずで、

・純粋に心の底から人を助けたい・救いたいという利他心から?
・困ったときはお互い様とか、見返りが期待できるかもとかそういう損得勘定から?
・深い考えに裏付けられた強い信念から?
・かつて自分が助けられたことに恩義を感じているから?
・許せないとか、見捨てる事ができないとかそういう理屈を超えた衝動から?
・自分は恵まれているにも関わらず、そうではない人の存在を知って助けたいと思ったから?

対象や状況によって答えは違うと思うけど、どんな理由であれ誰かを救いたいという思いを持てるのはとても素敵な事だと思います。


これに纏わる話でタイムマシン開発に全人生を捧げるロナルド・マレット博士の波乱万丈な人生の話を思い起こしました。

https://www.google.co.jp/amp/s/tocana.jp/2015/11/post_7824_entry.html/amphttps://www.google.co.jp/amp/s/tocana.jp/2015/11/post_7824_entry.html/amp

タイムマシンの製作に人生をかけるマレット博士。その強い想いの背景には、彼の生い立ちが大きく影響していたようだ。

ニューヨークのブロンクス地区に生まれた博士は、10歳の時に父親を心臓発作で亡くした。
その後、家族は親戚を頼って各地を移動するなど、貧困に苦しんだという。「父親が33歳という若さで急死しなければ……」という思いが消えることはなかった模様。

そのような中で出会った一冊の本、「SFの父」ことハーバート・ジョージ・ウェルズによる『タイム・マシン』が、博士の運命を決定づけた。そう、過去に戻ることができれば、父親を救うことができることに彼は気づいてしまったのだ。その後、若き博士はベトナム戦争に従軍してアメリカ空軍の「戦略航空軍団(SAC)」に配属される。

そして、復員兵を対象とした支援を受け大学進学を果たし、卒業後はユナイテッド・テクノロジー社に就職。レーザー技術の研究に従事した。その時の経験が、現在のタイムマシン理論につながったという。

「いつも父のことを考えています。彼に会いたいという熱意が、今の私を作り上げました」(マレット博士)
(中略)
もしも博士の理論が現実になっても、残念ながら「父親とコミュニケーションを取る」という博士の願いは実現しない。それでも彼は、
「想像してみてください。もしも過去の人々に警告を送ることができたなら、数えきれないほどの命を救うことができるでしょう」
(中略)
どんなことでも、取り組まずして成功することなどあり得ない。不可能と思われていることに挑み続けてきた人々が、歴史を切り拓いてきたことは紛れもない事実だ。


また他にも類する話でコウノドリ特設HPに鴻鳥先生のモデルになった荻田和秀先生がある中学生の女の子に対して答えた内容が深く私の心に沁みました。

Q.
私は今中学1年生ですが小学校2年生からずっと産婦人科医になりたいと思っています(助産師も興味があります)
理由はこの前のコウノドリ2話のように私の母も私を妊娠中に子宮頸がんであることが分かって子宮摘出など色々しましたが2歳のときに亡くなってしまいました。
私のような悲しい思いをする人を少しでも多く減らしたいと思ったからです、しかも産婦人科医にはなにか言葉で表せないようなものを感じています。コウノドリ1のおかげで、さらにその思いが強まりました。医者になるのはそう簡単では無いので今のうちから出来ることや、やっておいた方がいい事はありますか?
また先生はどうして産婦人科医になったんですか?どうしても産婦人科医になりたいんです。よろしくお願いします。

A.
君は辛い思いをした分、凄くいいお医者さんになるに違いない。もうそれは間違いない。
でも、お母さんの仇を討とうと思っているなら、医者になるのはやめといた方が良い。君がしんどくなりすぎるから。
どんなに医学が進んでも、どんなに一生懸命、考えられる限り最上の治療をしても、助けられない人は必ずいる。全ての人が思い通りに治る訳ではない。君はそんな場面にプロとして立ち会える?ずーっと冷静でいられる?

だからそれを乗り越えていけるように…いま、本を読みなさい。小説でも古典でもノンフィクションでも、とにかく出来るだけ沢山本を読みなさい。そこにはいろんな時代のいろんな人のいろんな悩みが書かれてるから。
そして音楽を聴きなさい。クラシックでもジャズでも何でもいいから、音楽を聴きなさい。そこにも作曲者や演奏者の思いや悩みが奏でられてるからそれを感じて欲しい。
それらを目一杯取り込んで…自分の思いや悩みと置き換えなければいけない。そんでもっていつか自分の気持ちをぐーっと楽にさせる事が出来たら、それから医療の道に進みなさい。
必ず、進みなさい。まっすぐ、進みなさい。
その道のどこかで、君を待ってる。




荻田先生はきっと中学生の女の子に「未来は決して復讐の為にあるのではない」という事を伝えたかったんだと思います。

亡くなった母を助けられなかった無惨さ、虚しさ、無力さ...そういったものを引き受けて背負って生きていかなければならない中で、どれ程最善を尽くしてもそれでも救いきれない人が大勢いる現実を知ってしまったら、何処かで耐えられなくなる時が来てしまう。

現実とは往々にして複雑で、思い通りにいかない事も多々ありますが、その中で踏み止まり続けるには強い気持ちや覚悟が必要なのだと思います。
否定的事象と利他的思想
自分が経験した辛い想いや経験を、きっと世の中には自分と同じような苦しい思いをした人が沢山いて、そういう想いをする人を少しでも減らしたいという想いの中には利己的な思想と利他的な思想の両方の要素が含まれているような気がします。それはかつての自分を救いたいという気持ちと似通っている。

だからこそ自己本位に陥ることなく、偽善者だと罵られることなく、純粋に誰かの為にという想いが生まれる。

私自身、大学時代や社会人人生を通して中で色んな人達と出会って、その中でたくさんの人間の悩みや不安や大変さを聞いてきた中でふと思いました。

自分の抱えている問題を解決したいと思っているのは、医療者や支援者ではなく他の誰よりもその人自身や周りの人達なのではないかという事

以前に聞いた話なのですが、難病を患う患者の家族は、時として医者に匹敵する程その分野の治療法について詳しくなる事があるそうです。
病気になってしまった最愛の人を是が非でも救いたいとインターネットや書籍でありとあらゆる情報を掻き集めて、血眼になって今ある医療の中で最善の方法を探そうとする。

本当にその問題をどうにかしたくて、現状を変えたいという強い思いを持ってるのはその人自身やその人を大切に思う周りの人達であり、それを乗り越えるのが個人の力では不可能な際に他者の力が必要となる。
特にその領域に精通していなければ対処出来ない高度で複雑な問題には体系的な技術や知識を有する専門職の力が求められる。

人は自分が経験した範囲内でしか本当の意味で共感する事はできません。でも少なからず人が抱える悩みには時間や空間を超えたある種の普遍性のようなものが含まれていると思う。そこに気付けるどうかっていうのはきっと凄く大きい。それは世の中のニーズであり、誰かが何とかしないといけない物なのだから。

そう考えていくとこの世の中の職業は誰かがそれを必要としてるから、その職業が存在する訳であって、そうした意味において世の中の仕事は本質的に全て利他的なものなのだと思う。

要するに仕事というのは突き詰めると、
誰の、どんなニーズに、どうやって応えていくか、そしてその為に自分が何ができるかという点に集約される

以上、述べてきましたが結論として言いたいことは、自分が何かを目指す明確な理由を説明する為には自分自身の原体験のようなものが不可欠なのだという事。自分の今までの人生を振り返って、どういう時に自分が悩んできたのか、その時に何があれば良いと思ったのか、何に自分は憧れてきたのか。そこに対する後悔の深さや想いの強さが強ければ強いほど、より自分の物語が幾層にも濃くなってゆく。そしてその物語は此の先どんなに辛くても、その実現のためには如何なる労苦も厭わない覚悟や想いの強さを裏付けるものとなるような気がします。そういう物を見つけ出すには自分の人生を徹底的に顧みていく必要がある。よくやりたい事が見つからないという話をよく耳にするけど私自身が感じているのは、

“答えはこれまでに自分が歩んできた軌跡の中にあるのだという事”

多分きっと皆振り返って何も無いような人生を歩んできた訳じゃないよね?
思い返してみれば“あの時...”そう思えるような物がきっと各人の内にあるはず。

最近は自分の人生の方向性の事を色々と考えますが、自分が何をしたいかというのはきちんと筋道立てて人に語れないといけないし、自分が大切にしている「価値観」が何かというも改めて見つめ直したい。