ー元大学病院職員である20代社会人の医療や福祉に関する備忘録ー

元大学病院職員の20代男子が医療や福祉の事を発信するブログです。

かつての自分を救いたいという想いから医療や看護や福祉の道を目指す人について


医療や看護や福祉の分野に進む人達って根底には弱い立場に置かれた人や困っている人達を助けたいという想いがある人が比較的多いような気がしています(もちろん全員が全員そういう訳ではないですが)。

でもそういう感情や動機ってどこから来るんだろう。誰かを心の底から救いたいと思う動機って何があるんだろうって考えてみると色んな理由があるはずで、

・純粋に心の底から人を助けたい・救いたいという利他心から?
・困ったときはお互い様とか、見返りが期待できるかもとかそういう損得勘定から?
・深い考えに裏付けられた強い信念から?
・かつて自分が助けられたことに恩義を感じているから?
・許せないとか、見捨てる事ができないとかそういう理屈を超えた衝動から?
・自分は恵まれているにも関わらず、そうではない人の存在を知って助けたいと思ったから?

対象や状況によって答えは違うと思うけど、どんな理由であれ誰かを救いたいという思いを持てるのはとても素敵な事だと思います。


これに纏わる話でタイムマシン開発に全人生を捧げるロナルド・マレット博士の波乱万丈な人生の話を思い起こしました。

https://www.google.co.jp/amp/s/tocana.jp/2015/11/post_7824_entry.html/amphttps://www.google.co.jp/amp/s/tocana.jp/2015/11/post_7824_entry.html/amp

タイムマシンの製作に人生をかけるマレット博士。その強い想いの背景には、彼の生い立ちが大きく影響していたようだ。

ニューヨークのブロンクス地区に生まれた博士は、10歳の時に父親を心臓発作で亡くした。
その後、家族は親戚を頼って各地を移動するなど、貧困に苦しんだという。「父親が33歳という若さで急死しなければ……」という思いが消えることはなかった模様。

そのような中で出会った一冊の本、「SFの父」ことハーバート・ジョージ・ウェルズによる『タイム・マシン』が、博士の運命を決定づけた。そう、過去に戻ることができれば、父親を救うことができることに彼は気づいてしまったのだ。その後、若き博士はベトナム戦争に従軍してアメリカ空軍の「戦略航空軍団(SAC)」に配属される。

そして、復員兵を対象とした支援を受け大学進学を果たし、卒業後はユナイテッド・テクノロジー社に就職。レーザー技術の研究に従事した。その時の経験が、現在のタイムマシン理論につながったという。

「いつも父のことを考えています。彼に会いたいという熱意が、今の私を作り上げました」(マレット博士)
(中略)
もしも博士の理論が現実になっても、残念ながら「父親とコミュニケーションを取る」という博士の願いは実現しない。それでも彼は、
「想像してみてください。もしも過去の人々に警告を送ることができたなら、数えきれないほどの命を救うことができるでしょう」
(中略)
どんなことでも、取り組まずして成功することなどあり得ない。不可能と思われていることに挑み続けてきた人々が、歴史を切り拓いてきたことは紛れもない事実だ。


また他にも類する話でコウノドリ特設HPに鴻鳥先生のモデルになった荻田和秀先生がある中学生の女の子に対して答えた内容が深く私の心に沁みました。

Q.
私は今中学1年生ですが小学校2年生からずっと産婦人科医になりたいと思っています(助産師も興味があります)
理由はこの前のコウノドリ2話のように私の母も私を妊娠中に子宮頸がんであることが分かって子宮摘出など色々しましたが2歳のときに亡くなってしまいました。
私のような悲しい思いをする人を少しでも多く減らしたいと思ったからです、しかも産婦人科医にはなにか言葉で表せないようなものを感じています。コウノドリ1のおかげで、さらにその思いが強まりました。医者になるのはそう簡単では無いので今のうちから出来ることや、やっておいた方がいい事はありますか?
また先生はどうして産婦人科医になったんですか?どうしても産婦人科医になりたいんです。よろしくお願いします。

A.
君は辛い思いをした分、凄くいいお医者さんになるに違いない。もうそれは間違いない。
でも、お母さんの仇を討とうと思っているなら、医者になるのはやめといた方が良い。君がしんどくなりすぎるから。
どんなに医学が進んでも、どんなに一生懸命、考えられる限り最上の治療をしても、助けられない人は必ずいる。全ての人が思い通りに治る訳ではない。君はそんな場面にプロとして立ち会える?ずーっと冷静でいられる?

だからそれを乗り越えていけるように…いま、本を読みなさい。小説でも古典でもノンフィクションでも、とにかく出来るだけ沢山本を読みなさい。そこにはいろんな時代のいろんな人のいろんな悩みが書かれてるから。
そして音楽を聴きなさい。クラシックでもジャズでも何でもいいから、音楽を聴きなさい。そこにも作曲者や演奏者の思いや悩みが奏でられてるからそれを感じて欲しい。
それらを目一杯取り込んで…自分の思いや悩みと置き換えなければいけない。そんでもっていつか自分の気持ちをぐーっと楽にさせる事が出来たら、それから医療の道に進みなさい。
必ず、進みなさい。まっすぐ、進みなさい。
その道のどこかで、君を待ってる。




荻田先生はきっと中学生の女の子に「未来は決して復讐の為にあるのではない」という事を伝えたかったんだと思います。

亡くなった母を助けられなかった無惨さ、虚しさ、無力さ...そういったものを引き受けて背負って生きていかなければならない中で、どれ程最善を尽くしてもそれでも救いきれない人が大勢いる現実を知ってしまったら、何処かで耐えられなくなる時が来てしまう。

現実とは往々にして複雑で、思い通りにいかない事も多々ありますが、その中で踏み止まり続けるには強い気持ちや覚悟が必要なのだと思います。
否定的事象と利他的思想
自分が経験した辛い想いや経験を、きっと世の中には自分と同じような苦しい思いをした人が沢山いて、そういう想いをする人を少しでも減らしたいという想いの中には利己的な思想と利他的な思想の両方の要素が含まれているような気がします。それはかつての自分を救いたいという気持ちと似通っている。

だからこそ自己本位に陥ることなく、偽善者だと罵られることなく、純粋に誰かの為にという想いが生まれる。

私自身、大学時代や社会人人生を通して中で色んな人達と出会って、その中でたくさんの人間の悩みや不安や大変さを聞いてきた中でふと思いました。

自分の抱えている問題を解決したいと思っているのは、医療者や支援者ではなく他の誰よりもその人自身や周りの人達なのではないかという事

以前に聞いた話なのですが、難病を患う患者の家族は、時として医者に匹敵する程その分野の治療法について詳しくなる事があるそうです。
病気になってしまった最愛の人を是が非でも救いたいとインターネットや書籍でありとあらゆる情報を掻き集めて、血眼になって今ある医療の中で最善の方法を探そうとする。

本当にその問題をどうにかしたくて、現状を変えたいという強い思いを持ってるのはその人自身やその人を大切に思う周りの人達であり、それを乗り越えるのが個人の力では不可能な際に他者の力が必要となる。
特にその領域に精通していなければ対処出来ない高度で複雑な問題には体系的な技術や知識を有する専門職の力が求められる。

人は自分が経験した範囲内でしか本当の意味で共感する事はできません。でも少なからず人が抱える悩みには時間や空間を超えたある種の普遍性のようなものが含まれていると思う。そこに気付けるどうかっていうのはきっと凄く大きい。それは世の中のニーズであり、誰かが何とかしないといけない物なのだから。

そう考えていくとこの世の中の職業は誰かがそれを必要としてるから、その職業が存在する訳であって、そうした意味において世の中の仕事は本質的に全て利他的なものなのだと思う。

要するに仕事というのは突き詰めると、
誰の、どんなニーズに、どうやって応えていくか、そしてその為に自分が何ができるかという点に集約される

以上、述べてきましたが結論として言いたいことは、自分が何かを目指す明確な理由を説明する為には自分自身の原体験のようなものが不可欠なのだという事。自分の今までの人生を振り返って、どういう時に自分が悩んできたのか、その時に何があれば良いと思ったのか、何に自分は憧れてきたのか。そこに対する後悔の深さや想いの強さが強ければ強いほど、より自分の物語が幾層にも濃くなってゆく。そしてその物語は此の先どんなに辛くても、その実現のためには如何なる労苦も厭わない覚悟や想いの強さを裏付けるものとなるような気がします。そういう物を見つけ出すには自分の人生を徹底的に顧みていく必要がある。よくやりたい事が見つからないという話をよく耳にするけど私自身が感じているのは、

“答えはこれまでに自分が歩んできた軌跡の中にあるのだという事”

多分きっと皆振り返って何も無いような人生を歩んできた訳じゃないよね?
思い返してみれば“あの時...”そう思えるような物がきっと各人の内にあるはず。

最近は自分の人生の方向性の事を色々と考えますが、自分が何をしたいかというのはきちんと筋道立てて人に語れないといけないし、自分が大切にしている「価値観」が何かというも改めて見つめ直したい。

病院内での他科依頼(コンサルト)について

臨床現場でのコンサルテーション

電子カルテ上で操作入力を行う為、学生時代に具体的なコンサルトの仕方を学ぶ機会は殆ど有りませんが、臨床の場でのコンサルテーションは「御高診」や「他科診察依頼」などと呼ばれたりしていて、自分の担当診療科や専門ではない疾患や各種問題を抱える患者さんについて、院内の他科の医師や他部署へ依頼をして診てもらう為に行われている医療機関の業務の一つでもあります。

他科コンサルトを依頼する場合

他科の専門的な診察が必要な疾患であったり、複数診療科に併診している場合や救急外来を受診した患者で専門の診療科に繋げる際、入院患者について他科へ診療を依頼する際などにコンサル依頼を出す必要性が生じてきます。
特に担当する専門の診療科ではない患者を診療する場合ー「腰痛→整形外科を受診したが、本当は急性大動脈解離」ーなど、主な症状から想定される病気でない時には、専門の先生に診てもらうまで繋ぐスキルとして適切なコンサルトを実施する力は医師にとって重要な能力だと思います。

コンサルテーションの流れ

コンサルト事の大凡の流れとしては、先ずは電話で連絡を入れ(電話を省略する場合も結構多い)、カルテ上でコンサルの依頼を出して、他の適切な診療科や部署に繋げていきます。

主なコンサル内容として、私が大学病院で良く目にしたのは、糖尿病内科へ血糖コントロールを依頼したり、腎臓内科に透析フォローを依頼したり、身体疾患で入院中の患者さんに精神症状が現れた場合などがありましたが、実際には他にも数え切れないほど様々なパターンのコンサル依頼があります。

コンサルトの文書や形式

大体、コンサル依頼の文章はファーマットが決まっていて下記の様な感じです。格式的な文章が多く、医療業界に特有な表現・形式に慣れるまでは少々大変ですが、丁寧かつ明瞭な依頼を出した方が、他科からコンサルトを受けた側も快く応じられ、その後の対応もスムーズにいき易くなる気がしますので、しっかりとした依頼文を書く事はとても重要だと考えます。

病名
#1 主病名
#2 他科疾患(コンサルする診療科の病名or症状)(〜の疑いと表記する場合もある)
#3 合併症・既往症1

挨拶文
「平素より大変お世話になっております。」
「平素より格別のご高配を賜り誠に有難う御座います。」

症例の要約
例文1(その科を初めて受診する場合)
「#1に対する◯◯目的に○月×日当科入院となった患者様です。この度、#2に対する精査目的に貴科的ご高診の運びとなりました。」

例文2(他科の受診歴がある場合)
「#2にて以前より貴科外来フォロー中の患者様です。この度、#1増悪の為に○月×日当科入院となりました。」

精査・診断・検査・治療・処置・投薬内容の確認等のコンサルトする目的
「(採血や画像検査結果の所見)から、△など貴科的疾患の可能性も考慮(検討)しております。つきましては貴科的ご高診頂ければ幸いです。」

結び
「ご多用の折、大変恐縮では御座いますが、ご高配の程宜しくお願い致します。」

参考サイト:
resident.mynavi.jp

医療現場で“前にも言ったよね”は精神病む原因になるし、リスクが増えるからやめて欲しいという話

医療現場において、次世代を担う医療職を育てる上で新人教育を担当する人間が言ってはならない言葉の一つが「これ前にも教えたよね」であると考えています。

以前にとある方のツイートを拝見して、下記の内容はとても共感しました。

「前にも教えたよね」って言葉は医療の現場で絶対使ってはいけない言葉の一つ。
これを言われると、悩んだ瞬間に質問ではなくて曖昧な記憶に頼るというリスクのある行動を取るようになる。

医療現場において『前にも教えたよね』という言葉はあまり使うべきではない言葉の一つ→悩んだ瞬間、曖昧な記憶に頼るというリスクある行動を取るようになってしまう為 - Togetter

質問しにくくなる事によるリスク

「前にも教えたよね」という言葉を言われた側は、萎縮して指導者に質問するのを心理的に避けるようになってしまい、いざ判断に迷う事態が発生した際に、上の人の意見を聞けずに自分でも正しいのか分からないまま進めてしまう事で、致命的なミスへと繋がりかねないリスクを孕んでいる為、この言葉は教育担当者や新人指導者が絶対に言ってはならない禁句であると私は考えている。

基本的に質問がしにくい職場環境はマイナスにしかならないので、これを言う人間はその言葉の重大さに気付いていない可能性が大いにあります。

特に医療系の仕事は、正確な知識と情報に基づいて業務をこなさないと人の生死に関わるので、判断に迷った際に経験者に聞くことを恐れるようになる程、曖昧な知識を修正出来なくなり、現場におけるインシデントの発生リスクが高くなります。

また、この話は医療現場に限る話ではなく、他職種を含めて全ての教育者や新人指導においても同様の事が通じます。

記憶力や要領が良く理解力の高い人であれば、1回の説明を受け、内容を瞬時に理解して直ぐに実践できる方もいます。
しかしながら、物事を覚えるペースには個人差があれば、1回で完璧に覚えられなかったり、時間が経って一度覚えた事がうろ覚えになったりする場合もあります。

この様な言葉を使うタイプの方が指導担当にいると、本当に聞きたい事柄があったとしても、その人に質問どころか自分から会話もする事を避けるようになり、とにかく怒られるのが怖くて身動きできなくなります。

分からないから質問をするのに、「前にも教えたよね」は質問の答えではないですし、解決もしなくて時間の無駄で、本人も萎縮して質問しづらくなって何のメリットもありません。
基本的に教えてあげれば済む話なので、目先の忙しさや労力に囚われず、教育側は長い目で成長を見守る度量を持つ事が肝要であると感じます。

質問をしてもしなくても怒られる過程で次第に精神を病んでいく

新人の医療職員が勇気を出して質問したとしても、「前にも言ったよね」と言われると、業務で次に分からない事態に直面した時に、

・質問する→「前にも言ったよね」を再度言われて機嫌を損ねる
・質問をしない→分からないまま業務を進めて、ミスをして怒られる

となり、曖昧な記憶でやって失敗して怒られ嫌な態度取られ、怖くて聞けなくなる→仕事を進める際にやり方が分からない→ミスをする…の悪循環…で次第に精神を病んでいきます。

実際に不明点を聞きに行っても「前にも教えたよね」と言われて、前に教わった内容を記憶を頼りに思い出したり、自分なりの確認した上でやった結果本来の方法とは異なった場合には、酷く怒られるといったパターンもあり得ます。

教える側の都合

同じ質問を何回もしてはいけないという考えは本来は指導者としては失格で、何回も教えたくないという教える側の怠慢だと思う。

成長や結果を求めるなら、きちんと覚えるまで教えたり、きちんと一人で業務を行える水準まで持っていくのが教育を担当する者の責務で、質問された事に対して突き放すような言葉を返す事はは責任の放棄である。

「曖昧な時は何度も聞いていいから確実に覚えてね。」「分からないことは、何度でも聞いて大丈夫だよ。絶対怒ったりしないから、遠慮せずに聞いてね。」といった様に何回でも同じ事を聞いても良いというスタンスを指導者が持つ事で、入職してまもない新人が安心して聞けるような土壌が形成され、職場の雰囲気自体も良くなるのではないでしょうか。

ケースバイケースではありますが、答える事で完結する質問なら即答し、本人の考えや判断が必要な事柄なら、「どうしたら良いと思う?」って聞いて一緒に考えてあげたりアドバイスして、寄り添いながら1人でゴールできるようにしてあげる事も時に必要なのかなと感じます。

もちろん質問する側も、下は少ない回数で覚える努力をしたり、メモを取る事で同じ質問をなるべく繰り返さないようにするといった努力は必要なので、それぞれが本来の目的を達成する為に最善を尽くす姿勢が重要であると考えています。

自己紹介と本ブログの趣旨

自己紹介

初めまして。当ブログを書いておりますRENBIMAと申します。

先ず、私が何者か、どういった方を対象にどんな情報を発信したいのかについて話したいと思います。

本ブログの2020年以前の記事では、私が大学生の頃に残した様々な考察や所感等のブログ記事を載せています。

大学病院時代に書いた記事

主に私が新卒で就職した2020年以降の記事では、大学病院に勤務していた事の経験に基づく医療関連の情報を発信しています。
実際には大学病院で対応していた下記のような相談事例に対応してきた中で学んだ種々の知識や病院職員ならではの視点で考察・解説の記事を執筆しています。

高額療養費制度・自立支援医療(更生医療・育成医療・精神通院医療)・傷病手当金・特定医療費助成・労災保険・医療費控除・障害者手帳障害福祉サービス・障害年金介護保険などの様々な医療費助成や福祉制度を患者様・ご家族様にご案内してきました。

実際に患者様やご家族の方から寄せられてくる相談内容としては、

・月々に掛かる医療費を減らしたい
・退職した後の医療保険をどうすれば良いのか
・事故や病気で働けない間の収入はどうするか
障害者手帳はどんな人が対象となるの?
障害者手帳を取得するメリットって何がある?
・民間保険には入るべき?
介護施設に入居するにはどうするの?
・親が認知症で介護で大変になった
生活保護を受給するにはどうしたら良い
鬱病で会社を休職してる間の収入はどうするか

など幅広い問題に助言させて頂いてました。

本ブログの趣旨と目的

上記の様な経歴を持つ私がこのブログを通してどんな事をしていくのか?

その答えはインターネットという媒体を通じて、正確な医療費助成や福祉サービスについての情報を専門家の視点から詳細に語り、制度について一般の方々や医療関係者の方達に少しでも参考にして頂けるようなブログにする事です。

現行の制度は対象者・申請手続きの方が複雑化しており、たとえ制度を利用できる対象となっていたとしても、知識が無かった・申請の仕方が分からない...といった理由で、本来なら利用出来たはずのサービスの恩恵を受けられなくなってしまうケースは残念ながらしばしば見受けられます。こうした制度の中には保険者・行政機関・保健所等の職員レベルでなければ、細かな部分を把握しきれていない側面があります。

そうした背景事情を踏まえ、私は医療機関に勤めていた頃から、1人が制度紹介を30分掛けて制度説明の対応をした場合と比較し、その対応時間に掛かる説明を全て文書や資料にしてネットで公開すれば一度に何千人、何万人という人を対象に出来る事に加え、事情があって相談窓口に辿り着けない(時間がない、わざわざ相談しに行く勇気がない等々)方々に対しても、専門的で有益な情報を提供できるのでは無いか、と常々考えておりました。

今後の抱負

まだ、私は大学卒業後数年も立っていない若輩で、経験不足で未熟な点もあるかと存じます。
途中、稚拙な文章も散見されるかと思われますが、是非とも複雑な制度の情報をより多くの方ー医療関係者の皆様、一般市民の皆様ーに知って頂けるような有用な情報発信に努めて参ります。

更には、私自身、社会科学や医療に纏わる諸問題等、色々な事に興味があるので、そういった話題(つまり医療福祉に関係する様々なトピック)についても様々な観点から考察や情報を発信していきたいと考えていますので、今後とも宜しくお願い申し上げます。

本ブログがお読み頂いた皆様にとって、医療福祉について理解する一助になる事を願ってやみません。

新卒で入職した大学病院を辞めた理由を振り返る

大学卒業、新社会人...になって以降長らく更新が滞っていた本ブログでしたが、自分の中で色々と整理したいと思い、個人情報を特定されない範囲で若干脚色を施しつつ、この記事を書く事にしました。

私個人が特殊な例なのか、それとも“ありふれた社会人の一例”であるのかは定かではありませんが、若手の医療職の方や過酷な医療現場を経験されてきた方の中で、私と同じような経験や想いをしてきた方も少なからずいるのではないかと思う為、自身の個人的経験をこうして文章化する事に致しました。

実際に働き始める以前は、まさか自分があそこまで追い詰められるなんて、就職するほんの数ヶ月前は夢にも思わなかったけれど、学生と社会人になる間には途轍もなく大きなギャップが有りました。

私が勤めていた大学病院の状況

私は、元々新卒で高度急性期の大学病院に入職し、医療従事者として勤務していました。

私が就職した先である大学病院は高度急性期の医療機関で他の病院で対応困難な患者を中心に診療を行っており、過酷な業務環境において離職率も高く、現場は慢性的に人員不足な状況でした。

私が在職していた当時も多忙を極めた現場において、もとより医療需要に対して相対的に人手不足感が否めない医療現場で、精神的にも体力的にも余裕のある労働環境ではありませんでした。

大学病院で働いていた頃は、自身で足りない知識を補うべく仕事終わりや土日も時間を惜しんで勉強を重ねていたものの、実際の現場で起こる症例や業務は、机上の学習を幾ら重ねても初めて経験する事ばかりの現場では判断出来ない事柄が多々ありました。今振り返れば、これらは本当に個人の努力や頑張りなどではどうにもならなかった問題だと思います。

慣れない環境での医療業界で働くプレッシャー

慣れない勤務が続く過程で次第に毎日課せられるプレッシャーと責任と重みに耐え切れなくなっていきました。

生と死の狭間に立たされた重症患者の度々訴えられる相談への対応、自分の行為が他人の人生を左右する責任、どれ程勉強しても理解できない医学知識、医師や看護師等の他職種から寄せられるプレッシャー、がん・認知症・難病・精神疾患をはじめ多種多様な相談内容へ対応する知識不足、どんな相談や電話が来るか予め予測不能であること...これらを含めて仕事上の責任の重さと繁忙さに耐え切れるメンタルと実務能力があの当時の自分にはありませんでした。

大学病院が高度な医療施設である以上、避けては通れない問題では有るけど、状況に全くついていけないまま、「どうしたら助かりますか?」と縋る患者家族を目の前に経験も知識も乏しい自分に対応できる限界と歯痒さを感じる毎日で、当初は最先端の医療に携わりたくて、多くの人を救いたいと思って、入ったのにも関わらず自分の無力さを只々感じるばかりでした。

限界を感じた日々

大学病院で働き始める前から、手の届く範囲における病気で苦しんでいる人を救いたいと思い、頑張ってきました。結果として、これまでの在職期間で有りましたが、微力ながらもそれを遂行し患者家族の方から感謝されるという経験を得ることができた事は誇りに思います。しかしながら、自身の知識経験不足に加えて、業務が逼迫しすぎて環境が忙しくなる中で他者のことを考えることが難しくなり、それが続くと相手を思い遣る気持ちが持ち辛くなっていくのを感じました。

実際に現場で働く前は、病気を抱えた方の為に役に立ちたいとか、医療の発展に貢献したいと考えていましたが、目紛しい程の業務とプレッシャーに精神を擦り減らし、家に帰っても疲れて寝るだけの日々に遂に限界を感じました。

大学生時代とのギャップ

十分な研修や教育体制が無い中で自身の知識経験不足や三次救急を担う高度先端医療機関に特有の重症患者(末期がん、深刻な合併症、死亡事例等)や稀少難病への対応の困難さに加えて、業務が逼迫しすぎて環境が忙しくなる中で、学生時代に思い描いていた現実との間に大きなギャップも有りました。

私の場合、自分の理想像や期待値が高かったので、だからこそ「自分ができない」事実に耐えられなかった。

大学時代に職業と学問が一体化した教育を受けてきた筈ではありましたが、抽象理論を中心とした学問的知識と具体的な行為を主たる業務とする臨床とでは求められる知識の間に乖離が余りにも大きく、いざ臨床現場において、書籍で読んだからと言って、国家試験の勉強をしたからと言って、実際の支援を完璧にこなせる訳ではなく、ましてや刻一刻と変化する病院の複雑なケースを、新人で未熟なままの自分が、患者家族から助けを求められている立場にありながら、医療という大きな責任を伴う仕事において、本来求められた役割を果たし切れていないばかりか、いつか自分の経験不足やミスによって取り返しの付かない失態をおかしてしまうではないかという不安・恐怖・自信の無さ、それら全ての蓄積が心身に大きな負担を及ぼしていたのだと思います。

また、大学病院にはいくら治療を施しても予後が厳しかったり、臨床的適応がなかったりして絶望に追いやられてしまう患者さんやご家族も少なくはありません。

更に、自分が働いていて辛かった事の一つは、自分が関わっていた患者さんが亡くなっていく事や日々生死と向き合う環境下でのプレッシャーと恐怖です。通常人間が一生に数度経験するかしないかという“人が死ぬという場面”が病院という特殊な環境の中では日常的に組み込まれており、自分と関わりのあった人が亡くなる事は、心に大きな侵襲を及ぼします。日々周りで誰かが死ぬ、そして自分がその死に間接的に関わっているかもしれない、そんな恐怖心との折り合いを付けて次の業務に切り替えていくという事が医療職に就いてまもない自分にはとても難しく感じました。

離職した医療従事者に対する批判の声

時々、新卒数年間で離職した若者を責めるような論調の発言を拝見しますが、そうせざるを得なかった人の背景や事情、本人にしか分かり得ない苦しみを汲まずに、結果論のみで簡単に片付けるのは余りにも短絡的ではないかと感じます。まして当人しか分からない辛さや苦しさがあるのだから、辞めたという一面的な結果のみを見て、その人が弱かったのだと勝手に決めつけてはいけないと思います。 事実、本人は頑張りたいという気持ちがあったとしても、病気や障害等の事情があったり、環境に耐えきれず心や身体がズタボロになって、脱落してしまった人も数多くいます。

正直、入職した段階において、働きやすい環境で続けていけるか、それとも心身共にボロボロになって辞めざるを得なくなるかは、“運”に依る所が大きくて、本人の能力適正に関わらず、環境に恵まれたか否かによる違いでしかない場合も多いと感じざるを得ない。

ただ、最初は誰しもが経験もない中で働くことになります。初めて就職した先が合わなかったり、ろくに経験のないまま実力以上のプレッシャーの降り掛かる厳しい労働環境下において、どうやってフォロー体制を整えて、少しずつ一人前に成長させていくのかはあらゆる病院・組織にとって重要な課題であると認識しています。

職員との人間関係

医療の世界は命に関わる現場である以上、ある程度の責任を伴う事になる点はよく分かります。しかしながら、私の場合経験の乏しいまま実力以上のプレッシャーの降り掛かる厳しい労働環境で、いきなり一人で新人を矢面に立たせられて、周りは何も見て見ぬ振りをして、出来なかった事を裏で責め立てたり、凄い剣幕で叱り付けたり、瑣末な事を永遠と並べ立てて若手職員を追い詰めるといったような威圧的な指導を行う職員が一部存在しました。(いわゆる難ありな性格のお局)

感情的に強く怒ったり、周りが聞こえてる中で大きな声で欠点をひたすらに並べ立てたり、新人に対してそのような言動をしても何も意味ないどころか寧ろマイナスなのにも関わらず、なぜ高圧的な態度で萎縮させるような指導を選んでしまうのでしょうか。

医療職の若手職員を指導する上で、基本的に怒鳴ったり殴ったりすること意味がなく、委縮させたり声を荒げて叱責したりして、本人が奮い立ってやる気が上がる事例というのは、基本的に絶無と言っていいと思います。たしかに人の命が関わってるからこそ、時として厳しく指導しないといけないというのは理解できます。 ただし、仮に未熟な点が見受けられたとしても、人の心が壊れるような指導を選択した時点でそれは不適切であるのだと今となっては思います。

将来のある医療従事者を育てなければ日本の医療に未来はない

本来であれば、現場で若手職員を丁寧に指導して1日も早く業務を覚えてもらえた方が、指導する側の負担も部署全体の負担も軽くなるはずです。行き過ぎた指導やパワハラまがいの言動によって傷付けられた人が辞められてしまっては、その組織や業界そのものにとってマイナスではないでしょうか。

一人の人材を大切に育てず、離職させてしまえば、ただでさえ人手不足と呼ばれる業界の中で、どれだけの損失になるか、重く受け止めなければ、今後将来の医療を担っていく人材を大切に育てなければ、この国の医療の未来はないと思います。